天の竜





　いやらしい夢を見た。
　嫌がるマルフォイを押さえつけて、情欲に突き動かされるまま貫く夢。これまでも何度も観た夢。夢だから、彼はいつだって初めてだ。僕の行動に驚き、慌て、逃げようと抵抗し、最後に征服されて、悦楽に喘ぐ。そういう夢だ。ただのイメージだ。



１



　

「おはよう。マルフォ…！？」
　腕枕をして眠るのが習い癖になっていた。珍しく先に目をさましたハリーは、腕の中の親友を起こそうとして、言葉を失った。
　肩口に俯せていたマルフォイは、泣き明かしたかのように瞼が紅く腫れ上がていた。体温も高い。額に手をやれば、微熱があった。起きあがりケットをめくって、ハリーは愕然とした。マルフォイはなにもまとっていなかった。いつもは肌触りのよいシルクのナイトウェアを着込んでいるのに。むき出しの白い肌に、鬱血した紅い印が散っている。ハリーは自分の姿を見るのが怖くなった。背中に、引っかかれたときのような痛みが走る。おそるおそる我が身を見下ろした。想像通りのありさまに、血の気が引いた。
（夢じゃなかった！？）
　マルフォイを恋人とからかうようになって、久しかった。特別を望むマルフォイのためだ。ハリーは軽く考えていた。けれども、周囲が囃したてた。名実共にそういう関係になったのだと、袖を絞る輩もいたし、親密ぶりをからかう連中もいた。そういった中から、ハリーは同性同士の性交渉についての知識を、少なからず吹き込まれた。
　マルフォイを抱きたいと思ったことはない…と思う。けれども、そうすることができるのだという知識の膨張は、性に敏感な少年の心をかき乱した。健康な青少年である。そちらの方面に興味もあるし、霰もない夢に夢精する事だってある。いつからかハリーは、空想の中で、夢の世界で、マルフォイを抱くようになっていた。シミ一つない肌に紅い華を咲かせ、誰も踏み込んだことがない最奥に分け入って精を注ぎ込む、淫らな幻想。手淫の肴が、ピンナップの熟女から彼に移った、それだけのことだったはずだった。
　ハリーはヘッドボードに置かれた時計に目を走らせた。時計は起床時間を告げている。もうすぐ、ゴイルトクラッブも目を覚ます。いいや、そもそも昨夜の夢が現実ならば彼らが起き出してこないはずがない。最中、マルフォイは喘いだり叫び声を上げたりしていた。彼らが目を覚まさないはずがないではないか。彼らは踏み込んでなどこなかったし、今だって引かれたカーテンの向こうは寝静まったままのように感じられる。
　起きあがり、ハリーは横たわるマルフォイの体を検分した。鬱血、歯形、秘部の出血の跡。シーツに残る赤黒い染み。行為の跡であることは歴然としていた。
　愕然としているハリーの前で、マルフォイは小さく身動ぎ、緩慢な所作で瞼を開いた。
「…ハリー？」
「うん。…ごめんね」
　かけるべき言葉が見つからない。ハリーは労りの気持ちを込めて、謝罪の言葉を口にした。
「…なに？」
　マルフォイの語尾が跳ね上がった。機嫌を損ねたときの彼の癖だ。柳眉を寄せ、肘に力を込めて起きあがろうとしているようにみえた。けれども力尽きたのか果たせず、顔を顰めて、ベッドに沈んだ。助けしようと伸ばしたハリーの腕は振り払われた。
「マルフォイ？」
「なんで謝るんだ？！」
　マルフォイが喚いた。
「これは特別になるための儀式なんだろう？僕はどんなことにだって耐えられる。そういったはずだ…。謝るなんて、どういう了見だ。約束を反故にする気か！」
「約束？」
　目眩がした。昨夜僕はなにをした？
「おまえは、昨夜の言葉をもう忘れたのか！！」　
昨夜僕はなにを話した？


2002/08/28　



２



　


　昨夜ハリーはつものように透明マントを使ってこの部屋を訪れた。
　カーテンの引かれたベッドに忍んでマルフォイを待つ。眠るためにベッドに上がってきた彼を、抱きすくめてキスをした。最初の頃は驚いて悲鳴を上げていたけれど、最近では眉をぴくりと動かす程度だ。取り澄ました顔が憎らしい。わざと強引に手荒に、足掻くマルフォイをねじ伏せて、口を吸う。形ばかりの抵抗はすぐに止んで、背に回された手が、木綿のパジャマにしがみついてくる。可愛い。白い頬が薔薇色に染まって、瞳が濡れたようになる。同性でもその先ができることを知ってからは、味見をしているだけみたいでなんだか物足りなかった。もっと先がしたい。彼の全てを味わいたい。でもそれはできない相談だから、唇が腫れるくらいキスを貪った。だけど日々肥大する欲望はそれだけでは満足できなくなっていた。
　抱きしめ合ってベッドに潜り込んでも眠れない。先にうとうとし始めたマルフォイが憎らしい。顔を寄せて耳朶を口に含んだ。乳首を舐めるみたいにしゃぶってみた。舌を使って音を立てて。柔らかい耳朶と戯れた。眠れなくて苛ついたのかマルフォイが身を捩った。しゃぶっていた耳朶に逃げられた。はずみで舌が首筋を這った。短い悲鳴と仰け反った首筋。甘い声音が耳に刺さった。空想の中で何度も聞いた声。でも本当に聞けるなんて！血が沸騰したみたいに体が火照った。耳鳴りがした。
「…ねぇ、マルフォイ。僕ら、恋人だよね？」
　ハリーは抱き寄せていたマルフォイに覆い被さるように身を起こし、彼の頭の左右に両手をついた。
「僕と、しよう？」
　声が上擦っているのが判る。きっと酷い顔になってるんだろう。見上げるマルフォイが、怪訝そうに瞬きをした。
「する？なにをだ？」
　まっすぐ見上げてくる、なにも知らないだろう白い顔。ハリーは額を合わせて囁いた。
「SEX」
「…ばかか。それは婚姻した男女が子供を作るときにする作業だろう？」
　うっとおしげに顔を背けられ、ハリーは頭を上げた。
「結婚してなくたって、できるよ？」
「野合か？婚前交渉はふしだらな行いだ。だいたい僕らは男だぞ？寝ぼけるのも大概にしろ」
　じろりと、横目で睨まれた。むかついた。取り付く島がないとはこのことだろう。淡泊すぎるのも問題だ。マルフォイの奴、恋人の意味がまるで分かっていないじゃないか。そりゃあ、方便だけど、特別を望む彼のために、あつらえただけの仮初めの恋人だけど。だけど、みんなは僕らが特別なんだって思ってる。君としてるって思ってる。ほんとはこんな生殺し状態なのに。特別を望む君のために、たった一人しか座れない特等席を用意してあげたこの僕に、あんまりにも冷たい仕打ちとは思わないわけ？　
「…マルフォイ。君、僕の特別になりたくないの？」
　ずるい言葉を使った。彼をその気にさせたかった。どうすれば頷くかなんて、ハリーには優しすぎる設問だった。
　顔を背けていたマルフォイが、ぱっと振り向いた。効果覿面だ。
「受け入れたら特別になれるのか」
　おずおずと問い質す声に、妥協の響きがある。
「はじめはちょっとだけ痛いかも知れないけど。すぐに良くなる」
「なんだそれは？」
「一般論だよ。僕だって初めてだもの」
　初めてだよ。特別だよ。君とだからしたいんだ。マルフォイの欲しい言葉なんて、全部知ってる。彼の餓えを満たせるのは僕だけだ。
「特別な相手としかしないものなんだな？」
「うん」
「したら僕は特別になれるのか？」
　ウィーズリーよりも？言葉にされなかった彼の願望が、見上げてくる目に滲んでいた。
「うん」
　頷いた。そう、嘘ではない。ロンと寝たいとは思わない。親友とSEXするなんてナンセンスだもの。
「…いいだろう」
　観念したように、マルフォイが仰向いて目を閉じた。
　ハリーは、マルフォイの額にキスを落とし、覆い被さるようにして、唇から味わっていった。首筋、鎖骨、シルクのナイトウェアをはぎ取り、白い肌に紅い華を咲かせた。マルフォイは、未知の行為に脅えているらしい。体を固くしてハリーにしがみついてくる。その様が幼子ときの彼に重なって、愛しさが増した。
　空想のなかで何度抱いたか知れない。どうすればいいかなんて、知り尽くしている。ハリーはマルフォイを嘗め回し、所有印を刻んでいった。音を立てて首筋を吸い、肌を溶かすように舌を這わせ、ときには甘咬みをしてマルフォイを啼かせた。息を呑み込む音、鼻から抜けるような甘い吐息。短く断続的にこぼれる押し殺したような喘ぎ声。夢想してきた音楽がハリーの耳を楽しませた。　
2002/08/30　



３



　



　びくりっ。マルフォイが背を弓のように逸らした。彼の腰を抱き込んだハリーが、その中心に触れたのだ。
　自慰したことなんてないだろう。垢向けていない綺麗な分身。ハリーは躊躇わず、口に含んだ。舌を使うたび、マルフォイが喘ぐ。笛を吹いてる心地がした。
　吐き出された精液と、自分の先走りとを掌に集め、マルフォイをうつぶせにして、腰を持ちあげた。男は女と違って濡れないから、アナルセックスをするにはローションが不可欠だと、本で読んだことがあった。
　口元にクッションをあてがいくわえさせて、ハリーはマルフォイの蕾を丹念にほぐしていった。舌と指を使って入念に塗り込めてゆく。蕾は堅く、なかなか解れない。指一本の筋道をつけるのすら、酷く時間のかかる作業に思われた。すぐにでも突き入れたい。貫いて啼かせたい。下肢を押し上げる熱が熱い。でも、無茶をしたらマルフォイがきついだろう。ハリーは汗を垂らしながら作業に没頭した。
　指を抜き差しする度マルフォイが痛みに体を捩った。見下ろせば、彼の抱えたクッションは涙に濡れ、くわえたところは引きちぎれんばかりだった。
「ドラコ。痛い？」
　背をさすってやりながら、問うた。
「っ、平気…だっ」
　うそばっかり。
「馴らさないと後が辛いけど、これ以上は無理みたい。いれていい？」
　恥骨のくぼみにキスをした。途端にマルフォイの体から力が抜けた。感じるポイントらしい。
「ねぇ、いい？」
　返事はない。その代わりしきりに頷かれた。彼も限界なのだ。
「行くよ」
　ハリーは膝立ちになり、マルフォイの細い腰を掴んで、そそり立った雄を蕾に押し充てた。覆い被さるようにして、ゆっくりと押し進める。
　包み込まれる感覚にハリーは呻いた。貫いているのは自分のはずなのに、呑み込まれていく錯覚を覚える。なんて暖かくて、気持ちがいいんだろう。もっと、もっと奥まで。全部いれたい。異物を押し戻す反応を力で押し広げ、最奥を目座した。腰をすり寄せ、胸を恋人の背に密着させて、腰を捕らえていた手を肩に移して抱え込み、一息にねじ込んだ。声のない悲鳴をあげて、マルフォイが細い喉を反り返らせた。
「…入った…」
　付け根にマルフォイの柔らかい尻の感触が当たる。ハリーは全てを納め、汗を滴らせながら、呻くように言った。
「…っ、こ、これで、終わりか？」
　終わったのか？そういう意味だと思えた。
「これからだよ」
　ハリーは汗だくになったマルフォイの頬にキスを落として上体を起こした。細い腰を両手でしっかり掴み、ピストン運動を始めた。手淫による自慰しかしらない少年にとって、はじめての快楽。ハリーは夢中になって腰を使った。男の体は愛液が分泌されないから潤滑液が欠かせないと本にはあったが、マルフォイのそこは、しばらくするとなにかに濡れて、ハリーの動きを助けてくれた。
　切れ切れの悲鳴が、マルフォイから上がる。痛みを通り越した先には、性的快楽がもたらされるはず。彼も喜ぶはずだ。ハリーは行為に没頭した。マルフォイの中でハリーの竿は歓喜にふくれあがり精をまき散らした。マルフォイの体が痙攣して跳ねた。
「最高…」
　恍惚となって、ハリーはマルフォイの頬にキスをした。シーツに掻きむしったような波を残したマルフォイが、上体から崩れた。
「よかった？」
　返事はない。ハリーは自身を引き抜き、マルフォイを抱き寄せて仰向けに寝転がった。かつてない開放感に酔った。キスなんて話にならない。最高だ。クイディッチでスニッチを掴んだ瞬間と張るくらい気持ちがいい。癖になりそうだ！
　気持ちが高揚して眠れない。もう一回したいよ。ハリーはマルフォイの様子を見た。彼は酷く疲れたようにぐったりとしていた。
「マルフォイ？」
ハリーは腕枕にしてやっていた腕を支えに体を起こし、肘をついたまま、瞼を閉じた彼の髪をすいてやった。汗と涙にしっとり濡れていた。
「寝たの？」
　名残惜しくて、体をまさぐった。煽るように、膝を割って足を絡めた。ぬめる感触を太股に感じてハリーは手をやった。指が濡れた。引き戻して見れば、夜目にも指先が赤黒く染まっているのがわかった。裂傷による出血。ハリーを助けた潤いの正体だった。
「…マルフォイ？ねぇ、大丈夫？」
　ハリーは動転して、マルフォイを揺さぶった。
　苦しげに眉が寄せられ、緩慢な所作でマルフォイが目を開いた。
「…ハリー？…終わっ…た？」
　問われて、目頭が熱くなった。マルフォイにとっては苦痛でしかなかったのだ。それなのに耐えていた。たった一言のために。
「これで…だな？」
　問い質す掠れた声。ハリーは何度も頷いた。
「うん。特別だよ。ロンより特別だ」
「そうか」
　満足そうに微笑んで、マルフォイはそれきり気を失ってしまった。
　愛おしさに涙が出た。なんて幼い。でも一途な。僕の一方的な肉欲を誤魔化すための言葉を真に受けて。
　こんなに思われてるなんて、嬉しい。僕が悩めば、君も悩む。そうして君なり考え尽くして答えを返してくれる。僕のために生きていてくれる。こんなにすばらしいことはない。思われているって、こんな幸せなことなんだ。
　泣けてしかたがなかった。
2002/08/31　



４



「…思いだしたか？」
　尊大な声に我に返った。マルフォイが仏頂面で睨んでいた。ハリーは照れくさくなって、頭を掻いた。
「うん」
「…その…もか？」
　濁された言葉に、ハリーは頷いた。
「うん」
「そうか。なら、もう行け。これ以上遅くなると、寮生に見つかってしまうからな」
　僕まで共犯者にされてはてまらない。マルフォイは眦をうっすらとピンクに染めて、照れ隠しのようにぶつぶつと悪態をひねり出しては並べ立てた。
「君は？」
「いつも通りだ」
　そういうわりには、またベッドに沈み込んで動こうともしない。体が辛いのだろう。
（微熱があるもの。怪我もしているし）
　乱れた呼吸と、額を濡らす汗。ハリーは手早く身支度を整えるとケットでマルフォイをくるみ抱き上げた。
「なっ！？なにをする！？」
「医務室に行こう。一緒に」
「ッ馬鹿をいうな！！」
「行った方がいい」
　声はカーテンの向こうでした。
「ポッター。開けていいか？」
　クラッブの声だ。ハリーは是と応じた。
　カーテンが引き開けられた。制服姿のゴイルとクラッブが複雑な面持ちで立っていた。
　二人はハリーからマルフォイを奪い取ると、手際よく着替えさせた。前合わせ仕立てのくるぶし丈のナイトウィアに空色の厚手のナイトガウン。袖を通させ前を合わせる。体裁を整えて、二人はマルフォイをベッドに腰掛けさせた。
「痛む？」
「…少し」
「無茶するからだ」
「してないっ」
「わかったよ」
　さて、と。クラッブが向き直った。
「ポッター。貴様がどうやってここまで来ているか僕らは知らない。隠したいなら僕らは目を閉じてる。手に余るようなら、僕らが運ぶ。決めろ」
　二人とも目が充血していた。一睡もできなかったんだろうことは、すぐに判った。
「マルフォイはどうしたい？」
「見せ物になるのは願い下げだ」
　酷い顔色だった。起きあがったことが負担になったのだろうか。肩が上下するほど、呼吸が乱れている。不意に上体が傾いだ。
「マルフォイ？」
　支えた腕の中で、彼は意識を手放していた。
残された三人は、額を寄せ合い、マルフォイの意思を尊重することに決めた。 マルフォイを抱きかかえたハリーが透明マントで全てを隠し、その前と後ろをゴイルとクラッブがかためて部屋を出た。朝の支度で混雑する寮を抜け出し、医務室に急いだ。
　驚く校医に、ハリーは相手は自分であると告げマルフォイを託した。処置が済むまで、三人は所在なく廊下に座り込んでいた。
　朝日が眩しい。ハリーは眼鏡を外して無造作に瞼を擦った。
「おまえ、最後まで護れるか？」
　突然な問を発したのはクラッブだった。固そうな黒髪を掻き上げ、少し考え込んでいるみたいにみえた。
「貴様は鈍感だからな」
　そう前置きして、彼は話し始めた。
　昨晩、ハリーが狼藉に及んだとき、二人はそれに気がついていた。でも止めなかった。いいや、止められなかった。マルフォイに止められていたから。
　ハリーがベッドでどんな行動に及ぼうと、自分が呼ぶまでは決して手出しをするな。親友だと言い交わしたからには、命も預ける。それが友情というものだろう。
　マルフォイはそういって笑ったと言う。だから彼らは、マルフォイがハリーに蹂躙されるのを座視することしかできなかったと。
「いじらしくて泣けるよな。貴様に友情だぞ？恋人だなんて言葉で誤魔化して、親友にしない埋め合わせでしかないことくらい、とっくに気がついてるくせに。気にかけていて貰えるだけであいつは嬉しかったんだ。っとに、育ちがよすぎるよな」
　とても悔しそうにみえた。
　「恋人」がなにを意味するのか、マルフォイは知っていたという。同性でそういう関係が築けることも。けれどもそのような外聞の悪いことはしない。父上がお怒りになる。マルフォイはそういっていたという。
「だから貴様が狼藉に及んだら、僕らは呼ばれると思ってた。だけど貴様は口八丁でマルフォイを手玉に取った。あいつの体面を潰したんだ。きっちり責任をとれよ！」
「あいつの信頼を裏切るな！ルシウス様は怒るとめちゃくちゃ怖いんだからなっ」
　二人にどやされて、ハリーは頷いた。
（ああそうか）
　彼らがなにに腹を立てているのかが、判った気がした。なにに歯噛みしているのかが理解できた気持ちになった。
「…ありがとう」
　口をついて出たのは感謝の言葉。マルフォイの側にいて、ずっと彼を護ってきたこの二人も、マルフォイと同じ痛みをかかえていたのだ。マルフォイの友達でいたい。マルフォイは不器用で分かち合う友情というものが理解できていない。だから二人は従ってみせることでしか、友情を示せなかった。それでも彼らは満足だったのだろう。その彼らの掌中の玉を、ハリーはもぎ取った。そして彼らの欲した場所を、奪い去ったのだ。マルフォイのためと恩着せがましく。
　ハリーは両腕を伸ばし、二人の首に回して抱きしめた。突然のことに二人はバランスを失い前屈みになってよろけた。慌てる二人にハリーは告げた。
「ごめんね。…僕らも友達になれるかな」
「あいつが貴様を選んだんだから仕方ないだろう。貴様が裏切らないかぎりなっ。期間限定だぞっ」
「うん。ありがとう」
　ありがとう。心の中で何度も叫んだ。
　マルフォイ、君はすごいよ。君は僕に道を開いてくれる。障害物を味方に変えてくれる。とびきり素敵な僕の魔法使いだ。
2002/09/01



５



　

　放課後、ハリーは医務室に居た。
　昏々と眠り続けるマルフォイの枕元に付き添って、ずっと手を握っていた。
　熱に浮かされ、淡く色づいた肌。昨夜の火照りそのままの熱さ。友情を欲して身を差し出したその代償。
（…友情だなんて。君はなんてお人好しなんだろう）
　マルフォイの憔悴した顔に、水滴が落ちた。
　君は僕になにを期待してるの？僕は神様じゃない。君の望みも叶えてやれない、なんの力もない、無力な子供でしかない。君は僕でいいの？僕は英雄なんかじゃない。君が憧れ続ける偶像じゃない。僕は僕でしかない。失望させるかも知れない。いつか飽きられるのは僕かも知れない。
「なんてことだ。それがこんなに怖いなんて」
　マルフォイの純粋さに打ちのめされた。上流階級然とした鼻持ちならない生き物が、ユニコーンのように神聖な存在に思えた。俗世の穢れを知らない無垢な魂。掌に包み込んで、自分だけのものにしたい。　
　眠りにたゆたうマルフォイが儚げで、ハリーは無性に切なくなった。その資格があるとは到底思えなかったのだ。
　ハリーには誰にもうち明けられない悩みがあった。親友のロンにも話したことのない切実な悩みだ。マルフォイならこの重みを分かち合ってくれるだろうか。
「ねぇマルフォイ。僕らが学校で習う「魔法」は、理屈と呪文を知っていれば納得できることばかりだよね。摩訶不思議なものじゃない。マグルの世界でも生活に必要ないろんな技術がある。ウィーズリー氏が珍しがる「マグルの機械」も、あっちで生活しているものにはとても当たり前のことで、いわば魔法界における魔法とおなじなんだ。魔法界の「魔法」と「マグルの機械」、マグル界の「テクノロジー」と「魔法」は、それぞれの世界の「技術」と「常識では説明できないこと」をさす単語にすぎなかったんだ」
　このことは、誰にも話したことがなかった。誰かに気がつかれることで世界を失うことが怖かった。
「僕は、この学校からの招待状を受け取ったとき、奇跡が起きたと思った。あの最悪な生活の中でいつか誰かが助けに来てくれるんじゃないかって、馬鹿な夢を描いていたから。だから、「奇跡の子供」「生き残った男の子」と持ちあげられて、将来偉業を成し遂げる「特別な子供」ともてはやされて、目が眩んでいたんだ。馬鹿だった」
　いったん口に乗せると止まらなくなった。
「「ハリー・ポッター」は「生き残った男の子」「例のあの人を退けた特別な子供」。だから「将来例のあの人を討ち滅ぼす奇跡の子供」。そう信じられてる。ナンセンスだ。その真の意味を悟ったとき、僕はふるえが止まらなくなった。なぜだか判る？」
　誰にもうち明けることのできなかったこのカラクリ。
「僕にとっては「魔法」こそが「奇跡」だった。「常識では説明できない偉業を成し遂げる特別ななにか」だった。でも魔法界の魔法は奇跡なんかじゃない。魔法界の魔法では例のあの人は倒せなかった。魔法界が「ハリー・ポッター」に望むのは、その人をすらうち倒す「奇跡」なんだよ。「ハリー・ポッター」にその力があると思い込むことで、あの人の恐怖から目を逸らしているだけなんだ。馬鹿げてる。「ハリー・ポッター」は奇跡を望む人たちの願望が生み出した虚構の英雄なんだ。どこにもそんな奇跡は約束されていない。現実逃避の道具でしかないんだ」
　握っていた手に、もう一方の手も重ねた。熱っぽい手を両手で握りしめた。
「そのことに気がついたとき、僕はこの世界の暗黒を見たと思った。僕は「奇跡」を起こさなくちゃこの世界からも見捨てられると。それができなければ、僕の名前には「英雄」の代わりに「詐欺師」の肩書きがつくんだ。期待を裏切った「ペテン師」と罵られるんだ」
　この残酷な現実。
「君は僕に友情を望んだね。僕の友情は君のそれに見合うものなの？君の友情は僕が魔法界の面汚しになる可能性を知っても変わらないでいてくれるものなの？僕が英雄になり損なっても、友達でいてくれるの？誰もが僕を見限っても、僕の友達でいてくれるの？」
　ロンにもハーマイオニーにも問えなかった。余りにも惨めで。言葉にするのすらおぞましくて。自分が無力だと自覚する事すら恐ろしくて。　
「そうだって、信じていいの？」
　そう信じたい。
「君は「ハリー・ポッターなんてたいしたことない」っていったよね。「名前だけが有名な只の子供だ」とも言ったよね。その通りだよ。僕は只の僕なんだ。それでも友達になりたいと望んでくれてたの？僕は君の夢見た友情を満たすことができるの？」
　それが怖い。君に失望されることが。嫌な奴だと思ってた君に魅せられ続ける僕がいる。目を覚ました君にはこんなこと言えない。こんなこと聞けない。弱い自分をさらけ出すなんてできない。きっと鼻先で笑われる。君だけじゃない。誰も受けとめてなんてくれない。誰もが宥め賺してこういうんだ。「それでもヴォルデモートを倒すのは君の運命なんだ」わかってるさ。僕はそのためだけに招かれたゲストにすぎない。マグル界にも魔法界にも居場所がない根無し草でしかない。この空虚さを君は満たしてくれるというの？
「ねえマルフォイ、僕どうしても君に伝えたいことがあるんだ。聴いてくれる？」
　どうか心に届きますように。昨夜の純粋さで僕を助けて。
「君が好きだよ。…愛してる。側にいて。僕の隣りに。僕と一緒に歩いて欲しい」
　祈る思いで囁いた。
　弱々しい、けれども確かに意志の込められた力が、握り返してくれた。
「…ありがとう」
　救い主の白い手の甲をおしいだたいて、ハリーは厳かにキスをした。
2002/09/03　脱稿　
天の竜は天地の和合
マルフォイをあしらっているつもりが、どんどん引きずり込まれるハリーの図。
　描けてたらば、御喝采。にしてもゲロ甘ですね。
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