ユートピア
３１
「三文芝居だな」
ルシウスが不快なものを見る目つきで顔を背けた。
「おまえこそ大根役者じゃ。高圧的な態度で、この子を服従させることしかできんかったではないか」
肩越しに教え子に慈眼を注いでいたダンブルドアが、向き直って言った。諭すような柔らかな物言いだった。
「それで充分でしょう。お引き取り願おう。単身でな。ここはマルフォイ領ですぞ」
ルシウスがステッキを持ちあげ、その柄をダンブルドアに差し向けた。夜風がふたりの間を吹き抜けた。
「貴様こそ！退け！」
突然ハリーが叫んだ。
「ドラコは僕のだ。貴様なんかにやらない。ドラコが嫌だっていっても僕のだ！誰にもやらない。ましてヴォルデモートにやるくらいなら僕が！」
ハリーがポケットに手を突っ込んだ。なにかを掴みだして、その手を高く差し上げた。握られていたのは、マルフォイが今日別れ際、彼に渡したあの石だった。
「…それ」
僕の魂を封じた宝石。そこに託した心をハリーは気がついてくれたのか。
ハリーが石をルシウスに差し向けた。
「これを砕いたら、ドラコは死ぬよ？」
「貴様！」
ルシウスが声を荒げた。
「ここで連れ帰っても、奴を乗り移らせても、これがあるからいつでも殺せる。ドラコは僕のだ！」
そう、僕の手の中にあるのは彼の命そのもの。マルフォイの名に絡め取られた彼が、最後に僕に託してくれた、真心。その想いに酬いたい。だから僕は君を取り返す。君の全てを奪った奴から、奪い返して、君自身に。
「貴様に渡すくらいなら、僕が殺す！誰にもやるもんか！！」
無理矢理従わせても、躰を奪い取っても、僕がこの石を持つ限り、おまえの役に立ちはしない。だから諦めろ！もう手を出すな！ドラコをマルフォイの柵から解き放て！！
ハリーを睨み殺しそうな形相のルシウスに、ダンブルドアが静かに告げた。
「ハリーの勝ちじゃな」
「…ふん。それの代わりなど幾らでもいる」
唸るように嘯き、ルシウスが杖を振るった。
ハリーはすぐさま手を引っ込め、石を両手で握り込み、ローブの奥に抱き込んだ。この石を奪われてたまるものか。
「！？」
鋭い痛みが、肩口に走った。鮮血が迸った。それは水滴となって空中に浮遊し、ルシウスの杖に吸い寄せられるようにして血の珠を作った。
「依代に媒体。閣下の復活は妨げられぬぞ？」
顎を上げ勝ち誇ったように冷笑を浮かべるルシウスに、ハリーは傷の痛みと失血で、額に脂汗が浮かぶのを感じながら不敵に笑い返した。
「…ドラコはもらうからね」
「もういらぬ」
「父上！」
悲痛な叫びが空を斬った。
「そんなものよりも、よりふさわしい依り代はポッター、貴様だ！捕らえよ！！」
ルシウスが顎をしゃくった。
茂みから黒いマントの男達が走り出して杖を構えた。
ダンブルドアのマントが大きく翻り、闇夜のように広がって視界を遮った。
2003/08/10 UP
３２
目を開くと、中庭だった。
夕食後の自由時間を過ごす生徒達のただ中に、彼らは立っていた。
「先生？これは…」
「ちと、高度な魔法じゃ。おまえさん達には、まだちょっと無理じゃのぉ」
からからと笑い、ダンブルドアが左手で頭上に掲げていたマントを下ろした。マントには焼けこげた筋が何本も走っていた。ダンブルドアの手の甲も火傷のような傷が走っていた。帽子も組分け帽子みたいにくたくたになっていた。
ダンブルドアは右腕にマルフォイ親子を護るようにかかえていた。彼はマントを脱ぎ、マルフォイ夫人を素早く覆い抱き上げた。その様を目の当たりにしているはずなのに、マルフォイは微動だにしない。注視すれば、その瞳が焦点を結んでおらず、ただ開かれているだけなのだと知れた。ハリーは歩み寄り、放心したように立ちつくすドラコの肩を支えようとした。肩に触れた途端、彼は前のめりに崩れた。地に着く前に抱き止め掬い上げた。優美なドレープを描く黒い衣装が、死に装束のようだった。
「ポッター？急になんだい？びっくりしたじゃないか」
「校長先生まで！また悪戯ですか？」
変わらない日常の延長にいる生徒達が、気さくに声をかけてきた。単調な日常に降って湧いたイベント。物見高い生徒らが群がってくる。
誰かが息を呑んだ。
「…ハリー！？君、それ怪我？！」
電気に比べればはるかに明るさに乏しいランタンの元でも、ローブを濡らし、シャツブラウスに吸われた液体の色は鮮やかだった。
マダム・ポンフリーを呼ばわる生徒達のどよめきが、ハリー達を囲んだ。その騒ぎが無事ホグワーツに帰り着いたことを教えてくれた。
「平気だよ。それより…ゴイルとスネイプを…」
言い終わるより先に、ハリーの膝が音を上げた。マルフォイを抱いたまま、両膝が芝生にめり込んだ。
気づかう生徒達の声が、虫の羽音のように頭に響く。脂汗が頬を伝った。
スネイプの手でマルフォイを引き剥がされるまで、ハリーはそこに蹲っていた。
2003/08/22 UP
３３
ああ、まただ。また彼が、僕を見てる。形のいい眉を顰めて、さも不快げに。
目端に捉えただけの視線を、興味なさげにそらして、傍らのふたりに戻す。さあ、どうする？マルフォイ？
なんて問うまでもないね。振り向かなくても、ロンの渋面ですぐわかる。君が僕に絡みにきたこと。どんな悪口も雑言も、その内容に意味なんかない。ただ君は、より強い言葉で僕を振り向かせようとしているだけだもの。僕にかまって欲しいだけなんだもの。そのための言葉が、回を重ねるごとにエスカレートしてしまっただけなんだもの。見え見えなんだよ、君は。
相手にしなければしないだけ、君は躍起になって怒る。色白の肌を怒気に染めて、噛みつかんばかりに僕に絡んでくる。…面白い。
わざと邪険にして、絡み続ける君を廊下に残す。それはもう楽しみの域だ。だって、僕の背を睨み付ける君を、肩越しに盗み見る瞬間がたまらなく心地よいから。
君、自覚してる？そのときの自分の顔。悔しそうと言うより、むしろ泣きそうなんだ。とても気分がいい。
だからご褒美をあげよう。
どうすれば君が喜ぶかなんて、見え見えなんだ。だって、僕に見て欲しいんでしょう？かまって欲しいんでしょう？だから遊んであげる。
一人でいるところを捕まえて、口汚く罵る唇を塞いでやる。暴れる四肢を抱き込んで組み敷く。君は抵抗を忘れて身を捩る。小鳥の声で快楽に鳴く。
嬉しいだろう？僕にかまってもらえて。
それが望みなんだろう？僕に相手にされることが。
ロン達と別れて、彼の辿る道を先回りして、空き部屋の前で待ち伏せる。
悄然と歩いてくる君を捕まえて、引きずり込む。
いつものように抱きすくめたはずだった。
「…離せ」
「なに？こうして欲しくて、絡んできたんでしょ？」
勝ち誇った気分で覗き込んだ顔は、これまで見たことのない冷たい表情をしていた。
いいや、ある。彼が興味のない者に与える無関心そのものの貌。でも今まで僕に向けられたことなどなかった。僕は常に彼の視線の先にいたのだから。
「…ドラコ？」
戸惑う僕に、彼が口を開いた。
「 う そ つ き 」
吐息のような声に、吹き飛ばされた。
2003/09/30 UP
３４
海底を蹴って浮上するような勢いで、ハリーは目を覚ました。呑み込んだ空気が喉に詰まり、躰が金縛りにあったように強張った。
ドラコが僕をあんな目で見るなんて！
混濁する思考を整理する前に、なにかが肩に触れた。ハリーはかけ布団をはねのけて飛び起きた。心臓が早鐘をうち、呼吸が上がった。
目眩がする。
起こしたばかりの上半身を、前のめりにしてパジャマの胸元を握りしめた。肩が大きく上下する。顔に貼り付く髪の感触が不快だった。
「…ハリー？」
気遣う声に顔を上げた。ハーマイオニーとロンが、ベッドサイドのイスに座っていた。ハリーの突然の覚醒に気圧されたようだった。
「…ごめん。ちょっと夢見が悪かったんだ」
髪を掻き上げ、無理に笑顔を作って応えた。
「あれだけうなされりゃ当然だよ」
ロンが口をへの字に曲げた。
「うなされてた？」
「ええ」
頷いたハーマイオニーが顔を曇らせた。
「…あのさ、僕…」
「なにも言ってないわ。それより傷は？まだ痛む？傷の方は完治しているんだけど」
肩を前に押し出され、背をぐりぐりとなで回された。触診…らしい。
「痛くないよ。ありがとう。ハーマイオニー」
背を丸めて苦笑いをした。彼女は安心したらしく、微笑を浮かべてサイドボードから眼鏡を取ってくれた。ハリーは眼鏡をかけて、室内を見回した。医務室に自分以外の患者はいないようだった。
「…あのさ」
生々しい夢の余韻が、ハリーの歯切れを悪くした。
「マルフォイなら、いない」
ロンがぶっきらぼうに言った。
「え？！」
「スネイプの所よ。彼に怪我はなかったから、すぐ退院できたの。貴方は失血が酷くて…あれからもう二日もたっているのよ」
「…そう。よかった」
安堵の吐息と一緒に、躰から力みが抜け出ていった。ハリーはベッドに沈み込んだ。
ドラコがホグワーツにいる。手を伸ばせば触れられる場所に戻ってきてくれた。それだけで凍えていた部屋に暖炉が灯ったように暖かくなれた。
「なにがいいもんか！」
ロンが怒鳴って、ハーマイオニーに窘められた。
「どうしたの？ロン」
「どうもこうもっ。君は腹が立たないのか！？ハリーっ。君はあいつを助けるためにこんな怪我をしたのに！あいつ君の看病もしないで、さっさとスリザリンにひっこんじまいやがってっ！！」
「いいんだ。怒らないで。ドラコには彼なりの事情があるんだ」
友の義憤が心に堪えた。ロンは知らない。僕が彼につき続けた嘘を。
「どんな事情だよ！？君をほったらかしにしてまでかまけなきゃならないことが、このホグワーツにあるってのか？」
「そんなに怒らないで。ロン」
激昂するロンを窘めようと伸ばした腕は、彼がそっぽを向いたために空を撫でて終わった。恋人の仕打ちに怒らないハリーの不甲斐なさ。そこに付け込むようにみえるドラコの行い。事情を知らないロンが憤るのは無理からぬことだった。
「怒ってない！腹立たしいだけだっ」
ハリーは苦笑いして、ハーマイオニーに目線で応援を求めた。彼女はお手上げよ、っとばかりに首を竦めた。
「ロンはね、彼に直談判までしたの。スリザリンに押し掛けてよ」
「なんて？」
「どうしてハリーの側にいてやらないんだって」
「…それで？」
「必要ない、そういわれたんですって」
どくり。心臓が痛いくらいに収縮した。
「確かにここは安全さ。ダンブルドアが守っていてくれるもの。だけど筋が違うだろうっ」
怒りをぶちまけるロンの声が、急に遠くなった。
2003/10/03 UP
３５
「必要ない」
誰が？何が？
僕の看護のこと？
そう言う意味でなら、なるほど彼は医者ではない。そしてここには校医がいる。
だけど本当にそうだろうか？
うち消しようのない不安に胸が染まった。
必要ないのは、ひょっとしたら、僕自身のことではないのか？
だけど仕方がない。そういわれても仕方がない。
彼は知ってしまった。自分の嘘を、偽りを、全部知ってしまったのだから。例え、今こうして彼を思う気持ちが本物でも、誇り高い彼は僕の嘘を許してなどくれないだろう。
そう、彼が僕を許すことはない。
それだけはわかっていた。
それでもかまわない。そう思って彼を追ったのだ。彼を欺いた事実が白日に晒されても、それを償って許しを請おうとそう決めて追ったのだ。
だけど…。
だけどそれをどう償えばいいのか。ハリーには皆目見当がつかなかった。
「…リー、ハリー？」
肩を掴まれて、我に返った。
心配そうに覗き込む親友ふたりの心遣いが、嬉しくて苦しかった。
ハーマイオニーは否定したが、きっと譫言を洩らしていたのだ。ロンが直談判に乗り込むほどに。
ドラコはああいう性格だ。欺くことを誉れとしても、欺かれることなど屈辱でしかない。どれだけロンになじられようと、ホグワーツで孤立しようと、己がハリーに欺かれていたなどと口にすることは決してないだろう。
ハリーは鳥肌が立った。
自分が告白しなければ、決して明るみにでることのない罪。誰もハリーを咎めない。誰もハリーを許さない。
「寒いの？ハリー？」
ハーマイオニーの声に、ハリーは身を掻き抱くようにして蹲り、項垂れるように頷いた。
2003/12/11 UP
３６
「…話しておかなきゃならないことがあるんだ」
声を絞り出した。話さなければいけない。例えふたりに軽蔑されても、事実を伝えなければ。
（でないと、ドラコがホグワーツで孤立してしまう。）
彼にはもう何もないのだ。帰るべき家も、家族も。誤解されたままホグワーツで孤立したら…。気丈な彼はきっと顔を上げたままここを出ていくだろう。弁明もせず、振り返ることもなく。
そうしたらどうなる？
彼は狩られる。デスイーター達に。裏切り者として。
マルフォイ家に連れ戻され、ヴォルデモートへの供物される。今度こそ依り代にされる。
（でも、だけど）
ハリーには捉えられたからといって彼が諾々とそれに従うとは思われなかった。
そうなる前に、彼は自裁してしまうかも知れない。利用されるのを厭い、自分で自分を消し去ってしまうかも知れない。
そんなの絶対に嫌だ！
嫌われたままでいい。憎んでくれてかまわない。許してくれなくていいから、ホグワーツに留まって。僕の手の届くところにいて。君の無事を確かめられる距離にいて。
「…ドラコは悪くないんだ。ロン。悪いのは僕なんだ…」
訥々と語った。三年前、姿を隠して彼を強姦したこと。先々利用するつもりで、彼を籠絡しだまし続けたこと。それゆえに退学を止めなかったこと。手放して後悔したこと。そして今日、彼の身に起きた一部始終。
「ドラコのお母さんは、彼を逃がそうとして、ルシウスに呪いをかけられたんだ。彼の目の前で…僕の所為だ」
僕が殺した。
悔恨の涙が頬を伝った。
2003/12/12 UP
３７
暖かく柔らかい感触に頭を抱かれた。見上げればハーマイオニーの胸に抱かれていた。
「…馬鹿ね。あなた…自分のことなのに全然分かっていなかったのね」
ぽとり。暖かい滴が頬に落ちた。
「本当にその通りなら、君はたいした役者だよ。ハリー。だけどさ、僕らに言わせれば、騙されていたのは君の方だよ」
あきれ顔で肩を竦めるロンに、ハリーは目を瞬かせた。
「そうよ。素直じゃないのよ貴方」
「ハーマイオニー？」
「貴方、自分で自分を騙していたのよ。利用していると思い込むことで、彼に惹かれる気持ちに言い訳していたのよ」
「まあ、気持ちは判らなくもないよ。三年間いがみ合ってきたし、彼の父親は君の両親を殺した連中の仲間だし、スリザリンはグリフィンドールの宿敵だし。そいつに惚れちゃったなんて、なんか負けたみたいで決まりが悪いもんな」
「なんてこというのよ！ロン！」
声を荒げるハーマイオニーに、ロンがやばいとばかりに首を竦めた。
「それは彼だって同じじゃないの！そんな面子にこだわって…だから男の子は馬鹿だって言われるのよ」
いいながらしゃくり上げた。
「なんてお馬鹿さんなの。あなた達…」
「…ごめん」
「蟠りを超えられなかったのは、ハリー、貴方だけよ。マルフォイはそれを克服して貴方の手を取ったのに…。肝心の貴方がそれでは、想った甲斐がないというものよ。怒って当然よ」
「うん」
「ほんと、嫌われて当然だわ」
「うん」
「…それでも好きなのね？」
こっくりと頷いた。
2003/12/15 UP
３８
「ハリー。悪いけど私、貴方のしたことは許せないわ。知らないでいたかった」
瞑目したハーマイオニーの言葉に、胸が軋んだ。
「僕も、正直…ね。でも、話してくれたことには感謝するよ。ハリー」
「ロン…」
「知らないでいたら、僕きっと彼を非難して、ホグワーツに居づらくさせていたと思う」
ロンが決まり悪そうに頭を掻いた。看病にこないドラコへの直談判が峻烈だったろうことを想像させた。そんな風に怒ってくれる気持ちが嬉しかった。そこまで心配してくれる友を欺いた己の振る舞いを心から恥じた。
「そうね。話してくれた勇気には、敬意を払うわ。だからひとつ忠告させて」
「忠告？」
「ドラコのためにも、このことはもう誰にも話さないで」
「ドラコの…為？」
「そうよ。貴方は彼を守る為に話してくれたんでしょう？ホグワーツで孤立してしまわないように」
言い当てられて、眼鏡がずれ落ちるかと思った。
「だけど、彼にとっては同情なんて不快なだけよ。貴方に弄ばれた過去を明らかにされる方をこそ恥だと感じるわ。きっとね」
「同感。スリザリンの連中だって、協力を拒むようになるよ。君とマルフォイの絆が架け橋だったんだ」
「これは突き詰めればあなた達ふたりの問題なの。きっかけはどうであれ、今の気持ちが大切なんですもの。こんなこと広まったら、元の鞘に戻るにも戻れなくなるわ」
「駄目だよ、ハーマイオニー。…ドラコは僕を許さない。僕の所為で全てを失った。お母さんまで…」
「馬鹿ね！」
ぴしゃりと両手で両頬を挟まれた。
「それは貴方の考えでしょう？彼の答えではないわ」
「…じゃあ、君は許せるの！？僕のしたこと全部知った上でも、まだ僕のこと嫌わないでいられるの！？」
君だって今さっき僕のことを許せないといったじゃないか！
「…だからお馬鹿さんといっているのよ」
呆れ返った声に窘められた。
「私は貴方の気持ちの話をしているのではないの。彼の気持ちの話をしているの。貴方は今では彼が好き、その気持ちに偽りはないのでしょう？」
当然だと頷いた。
「だったら後は彼の気持ち次第よ。貴方のしでかしたことで、愛想を尽かしたかどうかなんて、確かめてみなければ分からないじゃない。そうよね、ロン」
「うん。一人で思い詰めて一方的に答えを出すのは早すぎると思うよ。ハリー」
「そうよ。彼、貴方のこと本気で好きだったもの。そう見えてたもの。だからまだ諦めないで」
「ハーマイオニー…」
「それまでは早まった真似はしないで。下手なことを喋れば、彼、却ってへそを曲げるわよ？」
「…その、君達は僕のこと軽蔑しないの？」
ロンががしがしと紅い髪を掻いた。
「正直、やらかしてくれたな〜って気持ちかな。だけどさ、それもハリーだろ？」
ひょいとあげられた方眉に、いつも通りの親しみがあった。
「ほんと、見事に騙されたわ。そういうとこ見抜けないなんて、私もまだまだね」
腰に手を当て軽く首を竦める仕種も常と同じ。
「…ありがとう…」
自分に向けられる変わらない笑顔に、救われた気がした。
嬉しかった。
2003/12/27 UP
３９
「なあハリー」
口元に手を当て考える仕種でロンが口を開いた。難しい顔になっていた。
「マルフォイのママはそれからどうなったの？」
息が詰まった。
「…僕らと一緒にホグワーツに」
「ほんと！？」
ロンに喜色が浮かんだ。
「中庭についたとき、僕がドラコを、ダンブルドアが彼女を支えていたから…」
此処、医務室に彼女の姿はない。そういうことなのだ。ハリーは悔恨に瞑目した。
「じゃあ、彼がスリザリンに籠もっているのは、お母様の看病の為なのね」
ハーマイオニーが明るい声で言った。
「看病？」
思わず反復した言葉は、揶揄の口調を帯びていた。
「どうしたの？ハリー？」
「…ありえない」
掠れた声でハリーは呻いた。
ルシウス・マルフォイは癒すことのできない魔法を彼女にかけた。ドラコが掻き抱いていたから、まじまじと見たわけではない。だが、ローブから伸びた手は、枯木と見間違うほど無惨な姿に変わっていた。癒すことができないのなら、今頃は枯れ果てている。
ドラコはあれほど慕った母親を亡くしたのだ。彼がスリザリンに籠もっているのは、そのショックのせいに違いない。
「…お亡くなりになったの？」
聡い彼女は相変わらず察しがいい。強張った声に、ハリーはこっくりと頷いた。
だから彼はスリザリンから出てこない。
だから僕なんか必要ないと言い放つ。
「そんな…」
ハーマイオニーが両手で口元を押さえ、一歩後ずさった。ロンが彼女の肩を支えた。酷く硬い表情になっていた。
「…ハリー、透明マントを僕に貸してくれないか？」
「透明マント？」
ハリーは顔を上げた。
「確かめに行って来る」
「スリザリンへ？」
振り仰いだハーマイオニーの問いに、ロンが頷いた。
2004/2/03 UP
４０
「どうして？」
「ママのためだ」
「お母様の？」
「うん。ママがジニーに手紙を寄越した。学校で何が起こってるのか知らせてほしいって」
マルフォイ家の騒動は、既に広く知れ渡っているらしいと、それで知れた。
「ジニーがあなたに話したの？」
「まさか、ジニーはママの味方だからね。僕にハリーとマルフォイのことしつこく訊くから、逆に問いつめたのさ」
「それで？」
「彼のママは、僕のママの友達だったらしいんだ」
ハリーは息を呑んだ。
あり得ないことではなかった。６年間も魔法界で過ごせば、この世界の狭さが見えてくる。生徒の父兄はOBであることが多く、その確率は純血魔法族であるほど高い。同級生の親達は、同世代の子供を持つだけに年齢が近い。７年制の寄宿学校。在学期間がかぶらない方が珍しい。ルシウスとアーサーが人目をはばからず反目し合うのだ。その妻も互いに面識がある方が自然だった。
夫が反目しあっているからと言って、二人もそうだったと言えるだろうか？僕やドラコのように、周囲に配慮してそれを装わなければならない日々を過ごした可能性がないと言えるだろうか。
周囲の都合で交流が絶えたとしても、往時交流がなかったとはいえない。
「純血魔法族は数が少ないんだ。みんなどこかで血がつながってる」
その口振りに、彼の血が負う現実が滲んでいた。
「エロールが可哀想だし」
「ここ数日、梟便が頻繁だったの、そのためだったのね」
「うん」
ロンが拳で鼻頭を擦った。
エロールが老いにむち打って、母と妹の間を往復している。その回数の多さに、妹の必死さに、母の居たたまれ無さが伝わってくる。
「パパには悪いけど、僕はママに協力したい」
「分かった」
ハリーは頷いた。
「透明マントはいつもの所に置いてあるから」
「ハリーッ！」
「ありがとう」
「ロン！」
頭越しに分かり合い、踵を返したロンのローブを、ハーマイオニーが掴んで引き止めた。
「ハーマイオニー？」
「慌てないで頂戴！」
振り返ったロンに、彼女がぴしゃりと言い放った。
「闇雲に動いて、只でさえ機嫌の悪いスネイプを怒らせるのは、賢い方法じゃないわ」
「…あのさ、僕が見つかるの前提で話をしないでくれないかな？」
ロンが情けない声をあげた。
「じゃあお尋ねしますけれどもね。スリザリンに忍び込んだとして、どこを探すの？男子寮？女子寮？教官室？」
人差し指を突きつけられ、剣幕にロンが後ずさった。
「透明マントの前に、忍びの地図でしょ。ふたりの居場所を確認してから動くべきよ」
「…忍びの地図に、死者が示されるかな？」
ハリーは淋しく笑った。
ハーマイオニーの眦が吊り上がった。
「そうだと決まった訳じゃないでしょう？」
足音荒くハリーに詰め寄り、怒鳴りつけた。その背でロンが苦笑を漏らした。
「賛成。地図、取ってくるよ。いつも場所だね？」
「え？ああ…」
踵を返したロンの背を、ハリーは唖然としたまま見送った。
「ハリー」
「なに？」
「…結局貴男もロンと同類なのね。男ってみんなこうなのかしら」
深い溜息と共に呟かれ、ハリーは目を瞬かせた。
2004/2/08 UP
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