ユートピア４１戻ってきたロンが、ベッドの上に地図を広げた。三人は額を寄せ合い地図に見入った。 「…どういうこと？」 眉間に皺を寄せて、ハーマイオニーが親指の爪を噛んだ。スリザリン寮にマルフォイ親子の姿はなかった。 「馬鹿な…。ドラコまでいないなんて」 身を乗り出し地図に食い入る二人に押し退けられて、身を引いたロンが声をあげた。 「こっち！ここ見てよ！」 ロンが指で示したのは、別棟の来客用ゲストルームだった。以前、マルフォイが薬害を被ったとき、駆けつけた母親が滞在した場所だ。室内には、マルフォイ親子とマダム・ポンフリーの名が示されていた。 ハリーは安堵の溜息をついた。 校医が詰めている。つまりまだ処置の余地があるということ。手遅れではないのだ。 「よかったわね、ハリー」 ハーマイオニーが肩に手を置いた。暖かな重みに励まされ、ハリーは頷いた。 「でも、なんだってこんな所に？」 「それはきっと、あれよ。ルシウスから守る為よ。スリザリン寮はOBである彼には都合がいいだけですもの。だから在校生には却って馴染みのない場所に匿ったのだと思うわ」 首を捻るロンに、ハーマイオニーが私見を述べた。 おそらくその通りだろうとハリーも思った。相手は体面を重んじる旧家の人間だ。出奔した二人を放置はすまい。ましてドラコは、彼の主にとって必要な道具なのだ。奪回の機会をうかがっているにちがいない。 「大丈夫よハリー。この城はダンブルドアが守っているんですもの」 「…そうだね」 ハリーは曖昧に頷いた。ロンが苦笑を浮かべて首を掻いた。 「三年生の時のようなこともあるからなぁ」 「あれは、脱獄したシリウスが侵入を果たせたのは、彼が未登録の動物もどきだったからよ。それに、場所も彼の出身寮だったからよ。ゲストルームはOBにとっても馴染みの場所ではないでしょう？だいたいルシウス・マルフォイが動物もどきなんて、聞いたことないわ」 「まあ、そうだけど…」 「とにかく、ルシウス・マルフォイ対策は先生方も考えてくださってるはずよ。今は、私たちがなんのために地図を開いたのか、それを思い出すべきだわ」 ハリーは眼鏡を掛け直し、ベッドを降りようとして、ハーマイオニーに遮られた。 「待って。その前に梟便を。ロンのお母様に、彼女がここにいることをお知らせしましょう？」 「そうだった。ママに報せなきゃ」 「届けるのに時間がかかるんだから、そっちが先でしょう？」 「へ〜い」 窘める口調に、ロンが不服そうに口をへの字に曲げた。 「じゃあハリー、私たち、手紙を出してから透明マントを持ってここに戻るわ。地図、借りるわね」 勢いに気圧されベッドに座り直したハリーの手から地図を抜き取ると、ハーマイオニーはロンを急き立てて医務室を出ていった。 2004/7/13 UP４２「大急ぎで頼むよ！」 「気をつけてね！」 手紙を携え飛び立つ梟を見送り、二人は肩をならべて廊下を戻った。 「透明マントは？」 「ここに」 ハーマイオニーが隣を見上げると、ロンがローブのポケットを叩いてみせた。 「ありがとう。あ、ここ曲がるわよ」 医務室に戻る回廊の途中で、ハーマイオニーは足を止めた。ロンが怪訝そうな顔をした。 「え？保健室はまっすぐだよ？」 「ゲストルームはこっちよ」 「…ハーマイオニー？」 「何驚いてるのよ。最初は一人で行くつもりだったんでしょ？」 「僕らだけで行くつもり？」 「そうよ」 「ハリーを騙したの？」 「違うわ。落ち着いて考えて。この地図に示されたって、ご存命とは限らない。この地図はニックもビーブズーも示すのよ」 ロンがはっとした顔をした。 「それに、ハリーも言っていたでしょう？マルフォイが今ハリーをどう思っているのかが分からない。マルフォイが本気で怒っているのだとしたら？」 怖い想像になってしまった。ありありと想像できる修羅場の光景にロンが首を竦めた。 「あんなに気弱になっているハリーに、彼を会わせるわけにはいかないわ」 「けど、ハーマイオニー…」 「今は、彼の気持ちを確かめるのが最優先よ」 「あいつが本心を言う分けないだろ！」 「だから直接会う必要があるのよ！彼の態度は言葉より雄弁よ！」 言い放ち、ずんずん先に進んでゆく。 仕方ないなぁ。肩で大きな溜息ひとつこぼし、ロンも彼女の後を追った。 2004/7/18 UP４３二人は回廊の途中で靴を脱いだ。靴を懐に抱き込み、透明マントを目深にかぶり直す。足音を忍ばせてドアの前に立ち、互いに目配せを交わし合い、息を殺してドアノブに手をかけた。 途端、ドアが勢いよく内側に開き、ドアノブを握っていたハーマイオニーはひっぱられてつんのめり、引き止めようとか咄嗟に腰に腕を回したロン共々、無様に戸口に倒れ込んだ。 「っ痛ぁ…」 のし掛かった格好ロンの下から這いだし、ハーマイオニーは顔に打ちかかった髪を掻き上げ、赤くなっているだろう額を掌で押さえた。眦には、痛みのあまりに涙まで浮かんでいる。それでも室内の様子に目を走らせるのは忘れなかった。 戸口に人の姿はなかった。ハーマイオニーは右手で懐の杖を手繰り身構えた。起きあがったロンも同様に身構えた。 勢いよく開きすぎ壁にめり込んでいた扉が、かたかたと震え始めた。 （閉じるつもり？） ハーマイオニーは杖を振るってその動きを封じた。 「ったく、とんだお出迎えだわね」 「…ちょっと、こっそり様子を見るんじゃなかったっけ？」 「もう無理でしょうがっ」 この状態でそれを云うか？ハーマイオニーは眦をつり上げて、ロンを睨みあげた。 ばれてしまったからには仕方ないではないか。それに、ばれたからと手ぶらで帰ることなどできない。今を逃せば二度目はないのだ。 ハーマイオニーは杖をかざしたまま透明マントを拾い上げ、ロンに押しつけてポケットに仕舞わせた。二人の背後で音荒く扉が閉まった。 室内は、以前訪れたときと何ら変わっていなかった。ハーマイオニーは無人のリビングを足早に突っ切った。ゲストルームの構造は覚えている。リビングの奥に、主寝室がある。寝室の扉の前で、二人はもう一度立ち止まった。 どうする？ロンが情けない顔つきで見下ろしてくる。 「こうするのが礼儀でしょ」 ハーマイオニーは背を伸ばし、一度目を閉じ息を吐き、おもむろにドアをノックした。 2006/01/27 UP 2007/04/01 改４４返事はなかった。間をおいて、もう一度ノックした。やはり返事はない。ハーマイオニーは意を決して、ノブに手を伸ばした。招かれざる客を拒絶するかと思いきや、ノブは難なく回り、扉を開いた。 音を立てないよう静かに扉を押し開き、二人は室内を窺った。 カーテンの引かれた窓から陽光が差し込み、室内は明るい。けれど中央に据えられた天蓋付きのベッドは、四方隙間なくサーモンピンクのカーテンが引かれていた。扉に背を向け、すなわちベッドに向けられて、ラウンジチェアが据えられている。いましがた二人が通り抜けた居間に据えられていたソファと生地が同じであることに気が付き、ハーマイオニーは痛ましい気持ちになった。 暖炉の側に、部屋のカラーリングによく調和した肘掛け椅子がよせてある。おそらく、あれが本来はあの位置にあったのだ。けれど、長時間を過ごすのには、それもほとんど一日を過ごすのには向かない。 （だから、隣からあの椅子を移したのね） ラウンジチェアの背もたれは、背を預ければ、後ろからは見えなくなるほど高い。その内側で淡いプラチナブロンドが陽光に透けて輝いていた。 「こんばんは。御機嫌いかが？」 「いい加減諦めろ。僕は行かない。ポッターの看病なんてしない」 振り向くことも立ち上がることもせず、声の主はラウンジチェアに座したまま、肘掛けにおいていた手を億劫そうに翻した。 「…悪かった。謝るよ」 ロンが素直に頭を下げた。向き合ってなくとも、気配で察したのだろう。ぎしりと音がして、座していたマルフォイが立ち上がり、二人に向き直った。疲労の濃い顔色をしていた。 「あの馬鹿が目を覚ましたのか。なにを話した？」 「君のお母さんのことを聞いた。ハリーも僕の母さんもとても心配してるんだ。だから」 「だからなんだ？」 マルフォイの眉が不快そうに寄った。 「お見舞いをさせて欲しいの」 「断ったら、お得意の魔法アイテムでも持ち出すのか？」 痛烈な一言に、ハーマイオニーは眦を赤くした。 「不調法だったのは謝るわ。ごめんなさい。でも心配なのよ。…本当に心配なの」 不覚にも声が震えた。本当は怖かった。マルフォイがらしくもなく冷静であることが。目の前のベッドのカーテンが閉め切られていることが。 「それは母上の生死についてか？」 こともなげに問われて、息が詰まった。マルフォイはこんな物言いをする人間だったろうか？こと家族のこととなると、誰よりも取り乱す、そんな人ではなかったか？ 「そうだよ。そこにいるんだろ？」 ハーマイオニーの背を支えるように肩に手を回して、ロンが問うた。 「無粋だな、ウィーズリー」 鼻で笑われた。 「無粋で結構」 憮然とした口調がハーマイオニーの背を押した。 「いらっしゃるんでしょう？お願い。お見舞いをさせて。会わせて欲しいの」 「何故？」 「何故って…」 「君と母上に何の接点がある？君に母上を見舞う資格があるとでも？」 「以前お茶に招いていただいたわ」 「昔のことだ」 「マルフォイッ」 取り合おうとしない態度に、ハーマイオニーは声を荒げた。 「落ち着けって」 怒っちゃ駄目だと言ったのは君だろう？肩を引かれてロンに窘められた。 「でもっ」 「マルフォイ、僕にはあるぞ」 「なにが？」 「君の母上を見舞う資格が」 2007/12/22 UP 2007/12/24改訂４５「どんな？」 「ママが会いたがってる」 「父親の間違いだろう？」 揶揄するように語尾が上げられた。ロンの父、アーサー・ウィーズリーはルシウス・マルフォイと敵対している。母親はその代理に過ぎないと当てこすったのだ。 「違うよ。ママはパパに内緒で何度もフクロウ便をよこすんだ。シシィの容態を教えろって」 「シシィ？」 「親しくなければ、愛称なんて使わないでしょう。貴方のご両親もロンのパパもママも、ホグワーツの卒業生だもの。私達の知らないところで接点があったとしても、おかしな事ではないわ。違う？」 ホグワーツで暮らして六年。今だからわかる。ホグワーツの卒業生は、この箱庭で培った人間関係を一生引きずって生きてゆくのだ。 「聞いたことないか？ママはモリー、モリー・ウィーズリーだ」 「…モリー。モリー・ウィーズリー。おまえの母親だったのか」 マルフォイが反芻するように名前を唇に載せた。 「いいだろう」 「マルフォイ？」 「グレンジャーだけだ。母上はまだ伏せってられる」 ロンが露骨にむっとした。ハーマイオニーは呆れた。息子と同い年とはいえ異性に、ご婦人の寝姿をみせるわけにはいかないだろうが。 ひとり歩を進め、カーテンの外から声をかける。応えはない。マルフォイを振り返り、目線で礼をし、カーテンの合わせ目を開いた。 整えられたベッドの中央に、マルフォイによく似た淡い金髪の婦人が眠っている。健やかな寝顔。悪いところなどなにもないような…。 安堵のため息をついた直後、それは起こった。 （え？） ハーマイオニーは目を瞬かせた。視界がぶれる。二重写しの画像を見ているように、違うビジョンがノイズのように混じって視界を乱す。 「マルフォイ！？」 後ずさるようにしてベッドから離れ、ハーマイオニーはマルフォイを凝視した。 「わかるか？」 「…これって、どういう事なの！？」 2007/12/23 UP 2007/12/24改訂４６「さすがは学年主席殿、と言うべきかな」 マルフォイがシニカルに微笑した。 「はぐらかさないでちょうだい」 「はぐらかしてなどいない。見ての通りだ」 見ての通り…。ハーマイオニーはベッドに目を戻した。微塵の乱れもなく健やかに眠っているマルフォイ夫人。整いすぎて怖いほどだ。 「マクゴナガル教授のご配慮なのね…。意識は戻られたの？」 「時々…。眠っていらっしゃる時間の方が長い」 それきり二人は黙り込んだ。ロンが居心地が悪そうに、もぞもぞと身じろぎした。 「…ごめんなさい。こんな時、なんて言っていいのか、気の利いた言葉が思いつかないわ」 「だろうな。僕もだ」 「ハリーがとても後悔してるの。取り返しの突かないことをしたって」 「奴は関係ない。こうなったのは、僕の所為だ」 ああまただ。ハーマイオニーは胸が痛くなった。こうやって彼は全てを己のうちにため込んでゆく。一人で背負い込み、押しつぶされてゆく。重荷を分けあう相手であるはずのハリーにまで背を向けて。 「治療は？」 「マダム・ポンフリーとスネイプ教授が当たってくださっている」 「ちょっと、どういうことさ？ハーマイオニー」 ロンが口を挟んできた。 「見たところ大事なさそうじゃないか」 ハーマイオニーは慌ててロンの袖口を引いた。マルフォイが睨み付けていた。 「母上の前でなければ、殴っているところだ。感謝するんだな」 「なんでさ！」 ベッドの上には、マルフォイによく似た金髪の貴婦人が眠っている。前にあったときと変わらない美しい姿のまま。 「止めなさい！謝りなさいっ！無神経よ！！」 「どうしてさっ？」 「うるさい。この程度見抜けないなら、貴様は魔法使いなど止めてしまえ！ウィーズリー！」 「なんだとぉ！！」 売り言葉に買い言葉、二人は声を荒げて口論になった。ハーマイオニーの仲裁にも耳を貸さない。 「ちょっと！止めなさいよあなた達！」 金切り声を上げたハーマイオニーの後ろで、ベッドが軋んだ。 2007/12/26 UP４７マルフォイが血相を変えて振り返り、ベッドに駆け寄った。 「母上！？」 「…ウィーズリー？…モリー？」 「いいえ。母上、その息子です。騒がしくして申し訳ありません。すぐ静かにさせますので…」 身を屈め、枕元で詫びる息子に目も向けず、彼女はうわごとのようなか細い声で論の母の名を重ねて呼んだ。 「モリー？…どこ？」 その様子にロンは目を見開いた。 （口元が動いていない？） 口元だけではない。身じろぎしない身体。瞳も見開かれたまま瞬きをしない。 鈍いロンだとて理解できた。これはまやかし。病んだ姿を魔法で偽っているだけ。魔法で姿を隠すほど、容体は酷いということだ。 そう思ったら身体が勝手に動いていた。 「駄目よ！」 咄嗟に袖口をつかまれたが、振り払い、ロンはマルフォイの隣に歩み寄って膝をついた。 「ママが、モリー・ウィーズリーが、貴方のことをとても案じています」 「…モリー…？いるの？どこ？」 「今こちらに向かっています。もう少し待ってください」 衣擦れの音がして、彼女が頷いたのだと察せられた。本当はよくわからなかったのだけれど、見下ろしてくるマルフォイが、顔を口惜しそうに朱に染め、握りしめた拳を下ろし先をなくしたみたいに震わせていたから、間違ってはいないと思う。 「ロン！」 ハーマイオニーに耳を引っ張られ、すぐさまベッドから離されて、ロンは涙目でハーマイオニーに抗議した。 「許可なくご婦人の枕元に近寄るなんて、失礼にも程があるでしょう？」 「非常時だろう！？」 「非常時でもよっ！」 尚も言い合おうとかハーマイオニーが腰に手を当てた。こうなると煩い。しかも長い。ロンは耳を塞ぎたくなった。 「ちょっと聞いてるの！？」 甲高い声が鼓膜に響く。ああもう勘弁してください。 2007/12/28 UP４８「おまえ達、母上の枕元で喧嘩は止めてくれないか？」 マルフォイの一言で、ハーマイオニーは口をつぐんだ。しかも謝罪の言葉付き。 （助かった） ロンは心の中で胸をなで下ろした。 「ウィーズリー。母親のことは本当か？」 「え？」 「こちらに向かっていると言ったろう」 「ああ、それ？君の許可が下りればすぐにでも」 「…そうか」 「ついでにスネイプの許可も取り付けてくれると助かるかな」 俺、あいつ苦手だから、と苦笑混じりに付け足すと、マルフォイは「わかった」とだけ応じた。珍しい。とても素直だ。 「じゃあ僕らは戻ってママに手紙を書くよ。きっとすっ飛んでくるさ」 努めて明るい声で言った。素直なマルフォイってのは、どうにもしっくりこない。細い肩が頼りなげで、ハリーが心配する理由がよくわかった。 （ママにすぐ来てもらおう） 急いで手紙を書こうと、ロンは踵を返した。 「ウィーズリー」 「ん？」 呼び止められて、振り向いた。呼び止めたのに、マルフォイはそのあとを続けない。 「マルフォイ？」 用がないならもう行くよ？と催促すると、やっと口を開いた。 「父親には伏せてほしい」 「なんでさ？」 問い返すと、「馬鹿ね、ロン」と、ハーマイオニーに呆れられた。 続く 2008/02/05 UP
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