WILD　CHILD　〜極光〜



２６




　「…落ち着いた？」
　問われて頷いた。胡座をかくように座り込んだローブの上に、胸を借りるようにして抱かれていた。
　逃げようという気は起きなかった。心の中の蟠りを洗いざらいぶちまけた。吐き出させてくれた彼の胸は居心地がよかった。心が和んだ。
　すり。マルフォイは無意識にすり寄っていた。夜気が寒かった。彼はローブを広げ、マルフォイを懐に包み込んだ。ほっとりと暖かい。
「…ありがとう」
　ぽろりと言葉がこぼれた。マルフォイ自身が驚いた。こんなに素直に気持ちを言葉にできたことなんて、かつてあったろうか？
　また、泣けてきた。声を殺して啜り泣いた。
　彼はマルフォイの肩を抱き、あやすように背をさすり続けた。
　ローブの胸に頭を預け、マルフォイは残った蟠りを言葉に変えた。
「悔しかったんだ。僕のこと、なんにも知りもしないあいつに拒絶されて。どうして拒絶されたのかわからなかった」
「今はわかるの？」
「…認めたくないけど。たぶん。勉強ができるとか、門地とか、そういうの意味がない。少なくとも、友達になるのには。必要なのはもっと違うなにかなんだ」
「どうしてそう思うの？」
「いないもの。僕には、ウィーズリーやグレンジャーやロングボトムみたいなの」
「ゴイルやクラッブがいるだろう？」
「…あいつらは、親にいわれて僕の側にいるだけだ」
　はじめて会ったのは、ホグワーツに向かうために訪れたキングズ・クロス駅だった。彼らの両親は父に子供らを引き合わせた。彼らと父の関係が、そのまま自分たちの関係だった。
（学校では三人でいることが多いから。スリザリンの三人組と呼ばれもするから。だけど違う。同じ「三人組」でも僕らは友達じゃない。僕がそう思いたくても、きっとそうじゃない。僕の顔色を伺うばかりで…あいつらが本当はどう思っているかなんて、僕にはわからない。）　
　自嘲を帯びた笑みが浮かんだ。
「なぜかな。昔からそうだった。僕は欲しいものを手に入れられたことがない。いつもいつも、諦めることでしかケリをつけられない」
「なにが欲しかったの？」
「籠の底に落ちて動かなくなった小鳥」
「鳥？」
「生き返らせたかった。母上が可愛がっていたあの小鳥。母上に笑って欲しかったから」
「他には？」
「マルフォイの名に相応しい僕。…父上を喜ばせて差し上げたい」
「君はなにが欲しいの？誰かのためではなく、君自身が欲するものは？」
「…ない。なにもない。欲しいものなんて…なにを望んだって手に入らない。手に入らないものを望んでどうなる？」
　失望しか残らない。期待しただけ辛さが増す。手に入らないものへの未練が募る。
「なのにみんな僕を馬鹿にする。わがままだって、欲しいものなんでも持っているのにって。…羨ましいのはこっちだ。彼らのほうがきっと僕より幸せなんだ。わがままなのはどっちだっ」
「ハリー・ポッターが欲しい？」
静かな声だった。高ぶった気持ちが、ふうっと凪いだ。　
「あいつを見ているとイライラする。なにもかも持ってるのに、取り澄ました顔して、被害者ぶって…挙げ句に僕を馬鹿にする。最悪だ」
「その割りにご執心だね」
「むかつくじゃないか。僕のこと知りもしないのに拒絶するなんて！」
「わかってもらえたの？」
　ひやりと胸が冷たくなった。認めたくない。でも認めなければならない事実。　
「…無駄だった。僕が何処にいたって、なにをしていたって、奴は関心がない」
　滑稽すぎて笑えた。可笑しくて涙が出た。
「どうしてほしかったの？」
「認めて欲しかった」
「認める？」
「うん。僕がいること。ここに僕がいるってこと…」
　彼の傍らに立つようにといわれて育った。差しだした手を取るべき彼は、自分を知ろうともしないで拒絶した。あの日から宙に浮いたままの手。握り返されるはずだったあの手。いまも宙に浮いたまま、握り返されることを欲しているこの浅ましさ。あまりに惨めだ。
「僕ほどあいつについて聞かされて育った人間はいない。それなのに、あいつば僕のこと気にもとめない。僕は…僕は…」
　それ以上は言葉にならなかった。マルフォイは両手で貌を被った。涙が掌を濡らす。いつもこうだった。望むものは手に入らず、独り隠れて涙を拭う。泣くことすら許されなかったあの家で、マルフォイの情緒は蝕まれていた。
（いつだって望むものは手に入らない。これからもずっと…）
　虚しさだけが蓄積される。涙の数だけ心が壊死した。
「泣いていいよ。ここは誰も来ない。僕は君にしか触れられない」
　ざらりとした舌の感触が耳の後ろを舐めた。頸を伝い鎖骨を這う。マルフォイは拒まなかった。為されるがまま、体を預けた。
　衣服を剥ぎ落とされても寒くない。体が火照る。息が熱い。
　熱に浮かされマルフォイは喘いだ。意味を為さない言葉の断片。
　そして彼の口をついて出た名。
　マルフォイは床に突き飛ばされた。
「酷い嘘つきだな君は。最悪だ。これでも君はハリーに焦がれていないというのか？」
　降ってきた言葉は、侮蔑の色を帯びていた。
2002/1/11　UP

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