WILD　CHILD　〜極光〜



４６





「なんで笑うの！？」
　マルフォイの抗議も虚しく、ノーバディは笑い死ぬかと思われるほど激しく笑い続けた。マルフォイはへそを曲げ、クッションを拾い上げると、ノーバディめがけて投げつけた。拾ってはぶつけ、拾ってはぶつける。その繰り返しだ。半分クッションに埋もれても、彼はまだ笑っている。マルフォイは頬を膨らませ、クッションを手にノーバディにの脇に座り込み、ぼこぼこと殴りかかった。それでも彼は笑っている。
「笑うなってばっ！！もう信じられない！！なんでそんなに笑うのさ！！」
　殴っても効果がない。息が上がり、腕が痺れた。肩で大きく息を吸い、クッションを彼の頭めがけて投げつけた。狙いは外れず命中し、ぼふんと間の抜けた音を立て、床に転がった。
「最低っ！！」
　甲高い捨て台詞を投げつけ、立ち上がり背を向けた。
「のわっ！？」
　後ろから羽交い締めにされて、床に戻された。
「もう！離せよ！僕は帰るんだからっ」
「ハリー・ポッターが只の男の子だったら、違う名前の子供だったら、どうしてた？」
　耳元で囁かれた。
「彼が「名前だけ有名な英雄」ではない、只のクイデイッチが上手いだけの冴えない少年だったら、君はどうしてた？やっぱり、目の敵にした？」
「ハリー・ポッターがハリー・ポッターでなかったら？」
「そう、彼がその名前でなかったら？」
　想像したこともない問いだった。
「気にも留めなかったかも…」
「どうして？」
「寮も違うし。彼はマグルとの混血だし。父上は関わる前に相手を選べとおっしゃられた。血筋、格、能力、つき合うにたる人物以外に関わるのは時間の無駄だと…」
「彼は無駄の部類？」
「クイデッチは上手いよ。僕より。…悔しいけど」
「成績は君の方が上だ」
「そうだね。彼と喧嘩してなかったら……どうなってたろう…」
　３年半の出来事が脳裏を掠めていった。苦々しいばかりの想い出が去来する。それが全て違うものになっていたかもしれない。スリザリン寮生の中にも、他寮の生徒と仲のよい者はいる。彼らのように、にこやかな時間を持てたのだろうか？
　ぼうっとうつろな、遠くを見るような目になっていた。
　突然、くっくっと肩がしゃくり上がった。
「マルフォイ？」
　マルフォイは笑っていた。嘲笑うかのような、皮肉な笑みをたたえて。
「…無意味だ。それ。僕がマルフォイでなかったら…それと同じくらい、無意味だ。あり得ないことだもの。IFなんて、いくら考えても仕方ないもの」
「無意味？」
「無駄ってことさ。現実逃避でしかない」
「夢がないね」
「夢？リアリストだと言って欲しいな」
「悲観主義者だろう？」
「君は楽天家だね」
「褒めてるの？」
「馬鹿にしてるんだよっ」
「っとに口が悪い！」
　突き放そうとして、逆に抱きしめられた。
「ノーバディ？したいの？」
「この前、願い事はないかって云ってたよね？ひとつあるんだけど、叶えてくれる？」
「なに？」
「歌って。ソリストを務めるんだろう？」
　マルフォイは寮の合唱団に名を連ねていた。成長の遅い体の所為で、おとずれない変声期。変わらないボーイソプラノ。今年もソリストに指名されていた。
「情報が早いね。聞きたい？」
「お願い」
　おねだりする口調に気をよくして、マルフォイはゆっくりと歌い出した。
　透き通るようなボーイソプラノ。スリザリンらしい、技巧ばかりの、硝子細工のように儚げな歌声だった。
　

春とはいえ夜は冷える。クッションの海の中、二人して毛布にくるまってた。
　寝転がっても悪さをする気配はなかった。抱き寄せて、それだけ。
「しなくていいの？」
「したいの？」
「…そうじゃなくて。あのさ…」
　口ごもりながら、ぼそぼそと言葉にした。キスしてあげられないから。こうして会ってくれるのに、なにもお返しができないのが心苦しいと。
「…マルフォイ、君はときどきとんでもないことを云うね。驚かせるのの天才だよ」
「？」
「わからないの？君がこうやって会いに来てくれるのがどんなに嬉しいことか」
「嬉しいの？」
「嬉しいよ」
「どうして？」
「君が好きだから」
「…僕は…」
「云わなくていい。無理しなくていい。君がどんなに親思いなのかわかってる。そういう所も大好きだよ」
「…僕は…」
「ごめんね。責めてるわけじゃないんだ。ありのままの君が好きだから、無理しないで」
「してない…無理なんて…」
　後ろ暗さを見通したような言葉だった。マルフォイは身の置き所のない心地になって顔を伏せた。
「…ごめんね」
　マルフォイ以上にうち沈んだ声だった。驚いて伏せた顔を上げた。
「僕は君に許しを請わなきゃならない」
「なんのこと？」
「僕は、酷いことをした。君の腕を折った。無理矢理強姦した。泣いて嫌がっていたのに。二度も。ごめんね。」
　肩口に頭が埋められた。首筋に暖かな滴がしたたった。切なくなって、預けられた頭に頬をすり寄せた。
「…もう、済んだことだ」
「許してくれるの？」
「悔いてるの？」
「かなり」
「こうして会ってくれてるのはその所為？」
「違うよ。君が会いに来てくれるから、うれしくて」
「嬉しいの？」
「当たり前だろう？好きな人に会いたいっていってもらえて喜ばない奴がいると思う？」
「僕のこと好き？」
「好きだよ。大好きだ。…愛してる」
　マルフォイの瞳から、大粒の涙がこぼれて落ちた。溢れる涙を、ノーバディが唇で啄んだ。あやすように背を撫でられる。マルフォイは彼の胸に縋って泣くしかなかった。
　最悪の出合いだった。そのノーバディがいまではこんなに優しい。最悪からでも関係は修復できるのだ。
（もしも、もしも僕がポッターにもっと素直に接することができていたなら、関係はもっと違うものになっていたのではなかろうか）
　今日ひっぱたいてしまった彼の感触が掌に蘇る。
「…ごめん…ごめんなさい…」
　ノーバディの腕の中でポッターのことを考えている。マルフォイは酷い裏切りのように思えた。許しを請うべきは自分だと思った。
　もう手遅れなのだ。なにもかも。
　自分はマルフォイであり、彼は「ハリー・ポッター」だ。生い立ちは変えられない。過ぎた時間を遡ることはできず、憎み合うしかない関係も、もはや変えられない。
「…ごめん。性急だったね。困らせるつもりじゃなかったんだ。ただ伝えたかったんだ。僕が君をどう思ってるか。ありのままの君が好きだよ。わがままなところも、高飛車なところも、そのくせ寂しがり屋で、人一倍優しいところも。見返りなんていらない。君がこうして会ってくれる。それで充分なんだ。僕が君を好きなこと、迷惑だって思わないで」
「違う…違うんだ…ごめん…ごめんなさい…僕は…」
　言葉にならない。言葉にできない。どうしたらいいのか、マルフォイにはわからなかった。
　ノーバディの気持ちが嬉しい。手放しで甘えたくなる。ノーバディのことは嫌いではない。好きなのだと思う。父や母のように、側にいて笑っていて欲しい人だ。だけどそれが彼の云う「好き」や「愛している」と同じものなのだろうか。
　惜しみない愛情を注ぎ、ありのままを受けとめてくれる彼の想いが大きすぎる。マルフォイは立ち竦んだ。それだけの価値が自分にあるようには思えなかった。
「また会いに来て。いつでも。僕は待ってるから」
　額にキスされた。
　マルフォイは泣き濡れた貌を綻ばせた。戸惑うマルフォイの心を汲んで、会いに来やすいようそういってくれているのだ。心遣いが嬉しかった。
2002/1/30　UP
ゲロ甘…。

←　　→