WILD　CHILD　〜極光〜



４９





「最後の試合？」
　ノーバディが反芻した。
　脱ぎ捨てたシャツを拾い上げ、横座りのまま袖を通しながら、マルフォイは続けた。
「そう。負けたら、僕は選手から外される。間違いないね」
　仕方ないよ。マルフォイは寂しく笑った。
「誰も僕が実力で選手になれたなんて信じてないもの…。…僕も信じてないもの」
「君は２年の時から、スリザリンのシーカーを務めてきたろう？２年の時は優勝だった。去年だって、２位だったじゃないか」
「スリザリンの高麗鼠」
　皮肉たっぷりの口調で 、マルフォイは唇をつり上げた。
　力業でごり押しをするチームにおいて唯一それのできない小柄な彼。彼には相手チームのシーカーをマークし、スニッチを見つけたら、競り取るよう厳命されていた。ちょこまかとつけまわす様を揶揄しての渾名だった。
「ニンバス２００１だからできたんだ。ファイヤーボルトのポッターには追いつけない。僕は彼に勝てない。…仕方ないよね」
　絞り出すような声だった。
「ポッターが僕を拒んだあのときから、僕には彼と対立する道しか残されていなかった。僕は彼と張り合わなければ、存在意義がない。彼と張り合うためには手段を選ばなかった。だから…もともとそんな資格はなかったんだ」
　自嘲するマルフォイを、ノーバディが抱きすくめた。
「僕はスネイプのことをよく知ってる。スネイプの人となりもね。確かに君をひいきしているけれど、そのために職務をおろそかにする人じゃない。大丈夫。君にはその実力があるんだ。だから、自信を持っていい」
「…ほんとに君って人は…」
　嬉しくて泣けた。欲しくて欲しくて仕方なかった言葉。そう思いたくてできなくて、自分の力量のなさに歯噛みして、至らない自分を責めた。与えられたポジションに酬いることのできない自分が情けなくて、そう思うことができなかった。
　マルフォイの首筋にキスが降る。
「君は可愛いね」
「それって褒め言葉じゃないぞ」
　耳元に囁かれた言葉に、マルフォイはむっとして顔を上げた。涙は止まった。
「褒めてるんだってば。…好きだよ」
「…嫌いじゃない」
「素直じゃないねぇ」
「うるさいっ」
　声を荒げたマルフォイに、ノーバディは抱擁を解いて愉快そうに笑った。隣りに腰を下ろす気配がして、浮き上がったローブが位置を教えてくれた。
「まだ、ハリー・ポッターは嫌いなの？むかつくの？」
　マルフォイは「大ッ嫌いっ」と、しかめっ面をした。ノーバディが理由を問うた。マルフォイはめんどくさそうに答えた。彼が僕を嫌っているから。僕のことを嫌う人はみんな嫌いだと。
　ノーバディが大きな溜息をひとつ吐いた。
「いいかい、マルフォイ？人の態度は鏡のようなものだ。相手が嫌いだって態度をとるのは、君が相手に嫌いだって態度をとっているからかもしれないよ？」
「僕の所為だって言うの！？」
「ハリーとの仲違いの原因はそれだろう？」
　図星を指されて言葉に詰まった。意図したわけではなかったが、結果的にはそうなってしまった、あの日の出来事。
「彼が嫌ってるんじゃない。君が彼に嫌いだと言わせているのではないの？君が喧嘩腰の姿勢を止めたら…ちょっとだけ友好的になれば、仲直りできるかもしれないよ？」
「冗談でもごめんだ！」
「…どうして？ハリー・ポッターは嫌いなの？」
「自分からすり寄るなんて、屈服するみたいじゃないか！負けるみたいで嫌だ！仲直りしたいなら、あいつから歩み寄ればいいんだ」
　毛を逆立てて唸る猫みたいな反応だった。
「今のままでいいの？」
静かな声だった。
「君は本当はポッターが好きなんだろう？未練はないの？そうやってずっとそのもやもやした気持ちを抱え続けるの？一言歩み寄るだけで仲直りできるかもしれないだろう？」
「あり得ない。絶対無理だ」
「僕らだってできたじゃないか」
「君はポッターじゃないだろう、ノーバディ」
　窘めるような口調だった。
「僕だって、奴のこと、少しは知ってる。英雄じゃないことも。お人よしで、頼まれると断れない質で、責任感が強くて、曲がったことが嫌いで…」
「よく見てるね」
「自称、ライバルだからね」
　泣いてるような微笑みが浮かんだ。
「彼は…友達をとても大切にしていて、敵対する奴には容赦がない。…それが僕だ。あれから三年…。もうじき四年だ。僕はずっと嫌がらせばかりしてきた。あいつは僕に恨みこそあれ好意なんて持ち合わせてない」
「…わかっててやってたの？」
「…無視されるよりはましだと思ったんだ」
　声が震えた。堪らなくなって、マルフォイは膝を抱き顔を伏せた。
「でもホントは嫌なんだろう？」
　ノーバディがいたわりを込めてマルフォイの頭を撫でた。マルフォイは小さく頷いた。
「あいつのことはいい。もういいんだ。君といるときぐらい考えさせないでくれ」
（望んだところで、手に入るものじゃない。湖に浮かぶ月みたいなものだ。僕は岸から石を投げるのが精々。奴は天空で冷たく笑ってるだけだ。）
　身の程知らずとは、こういう様を云うのだろう。滑稽さに笑えてくる。泣き笑いに肩が震えた。
「ねえ、マルフォイ。僕とこないか？」
「…取り殺す気になったの？」
　膝に埋めていた顔を上げ、横に傾けてからかうような上目使いになった。
「そうじゃない。マルフォイの名前なんか捨て自由に生きてみないか？」
　禁句だった。マルフォイの表情が凍り付いた。流氷が崩れるように歪み、皮肉さをたたえた微苦笑になった。
「馬鹿なことを」
「馬鹿？」
「僕はマルフォイ家に生まれたことを誇りに思っている。スリザリンに入れたことも。僕は父上の期待に応えて、立派な魔法使いになる。それが僕の夢だ」
「それはそうあるべく押しつけられた義務だろう？君自身の夢は？」
「父上と母上を喜ばせたい」
「それで満足か？」
「当然だろう」
　マルフォイは問い返されたことに驚いた。呆れるような貌をした。　
「君は…君って奴は…」
「どうしたの？」
「おまじないをしてやろう」
　言い置くと、彼は白い肢体を組み敷いた。
「飽きない？」
「全然」
「物好き」
　クスクスと笑った。物好きは自分だと、マルフォイは思った。
　いつしか生徒達から浮いた存在になっているのに気がついていた。それを寂しいと思いたくはなかった。
　ここでの自分は確かに異質だろう。だが、卒業すればあの家に戻るのだ。ここに馴染んでしまったら、家に帰るのが怖くなる。此処での生活はあと三年とすこし。家での生活は残りの人生全てだ。
　だから決めたのだ。残り三年をやり過ごすと。
　友達もいない。勉強も、スポーツも、成果で親を喜ばす為の手段でしかない。なにかが足りない。
　薄々気がついてはいた。足りないのは未来への希望。可能性への欲望。
　空虚さを、ノーバディで埋め合わせることを覚えた。好きとか嫌いとかそういう感情的なものは必要ない。もういい。疲れることはいい。ただ時間が過ぎるのを待つだけだ。そう思っていた。
　彼が誘ったことで、少しだけ欲がでた。
「君が来てよ。僕と一緒に。卒業したら僕は此処をでてゆく。その時一緒に」
「それは…できない。僕は此処の中にしか存在できない。外にでられないんだ」
「…そう。では駄目だね」
　また一人になる。それを思うと切なくなった。
　おかしな話だ。此処に来る前は、それが当然だったのに。
　申し訳なさを埋め合わせるように愛撫が激しくなった。ねだる仕種でノーバディを煽った。早く欲しかった。なにも考えたくない。こうしているときだけでいいから。
（わかっていたことだ。望むものは手に入らない。人も物も。だから本当に欲しいものは望んではならない。辛いだけだ。ノーバディも、好きになったら逃げてゆく。ハリー・ポッターと同じだ）
　ハリーとノーバディの違いは、好意的かそうでないかということだけ。共に過ごせる時間は同じ。残された時間は卒業までの三年と少し。
「長いんだか短いんだか…」
　呟きは薄闇に熔け、あとは荒い息づかいが響くだけだった。
2002/2/2　UP
マルフォイの諦観、伝わっておりますでしょうか。

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