WILD　CHILD　〜極光〜



５２





　すすり上げるような音に目が覚めた。
「…なにを泣いているんだ？グレンジャー」
　音のする右側に頭を傾けると、ベッドサイドのイスに腰掛け、栗色の髪の少女が両手で顔を覆って肩を振るわせていた。赤毛と黒髪。寄り添うようにして立つ男子生徒の髪の色で、彼女だとわかった。いつもの勝ち気さがなくて、頼りない感じがした。
「気がついたのか！マルフォイ！」
　大きな声が頭に響く。マルフォイは顔を顰めた。左側に顔を向けるとゴイルとクラッブが覗き込んでいた。
「…おまえ達まで。ここは葬儀屋か？」
　二人揃って泣いているから、マルフォイはあきれ果てた口調で問うた。
　保健室に運び込まれ、一度は目を覚ましたものの、再び昏睡し、今に至る。その過程を、でかい図体に身振り手振りをくわえて二人が説明した。カーテン越しに振り込む光は茜色だった。
「…ああ。そういえば、キャプテン達がいたような気がする」
　ぼんやりする頭に、微かに記憶が残っている。
　二人に手伝わせ、上半身を起こした。
（…ほめてもらえたんだっけ。あんな勝手をしたのに。試合に勝てて…。それで、みんな喜んでいた。喜ぶべきことだったんだな…）
　マルフォイは急に体が冷たくなった。
　正々堂々と試合に臨んだ。反則もずるもしなかった。実力で勝利したのだ。あのハリーを出し抜いてスニッチを掴んだのだ。
（どうして…？なぜ、なにも起きないんだ？）
　正々堂々と得た勝利なのに。彼らのように、跳ね上がりたくなるような嬉しさや衝動が沸き上がるものではないのか？誰彼かまわず抱きついて叫びたくなるような興奮が得られるものではなかったのか？
（どうして、僕はなんともないんだ？）
　父の云った嬉しさが、喜びが、これで得られるはずではなかったのか？
「マルフォイ？あなた酷い顔色よ？」
　蒼白になり、シーツを握りしめる拳が震えていた。マルフォイは動揺を隠そうとした。
「…そう？…君たちはなにしに来たんだい？」
　言いぐさにウィーゥリーが腹を立てた。抗議しようと身を乗り出し、グレンジャーに肘鉄を食らった。
「…お祝いを云いに来たのよ。おめでとう、マルフォイ」
「ありがとう。グレンジャー」
「今回はやられたよ。マルフォイ。次は負けない」
（次？）
　マルフォイは手を差しだしたハリーを、ぎこちない動作で見上げた。彼は握手を求めている。それはわかる。みればわかる。
（でも僕に、次があるのか？）
　あるわけがない。
　マルフォイは、自分にこの手を握り返す資格があるようには思われなかった。
　躊躇いを拒絶と受けとったのか、ハリーが、困ったように眉をちょっとだけよせて、手を引っ込めた。
「ごめん」
　そう呟いて。
　ウィーズリーがなにか言おうとして、口を閉じた。直情型のウィーズリーが口を塞ぐほど、マルフォイの顔色は悪かった。
　ゴイルとクラッブが先生を呼びにベッドを離れた。残りの三人も帰ろうとした。
「…グレンジャー。一つ答えてくれないか？」
「なに？」
「君はなんのために勉強している？」
「？自分の為よ？どうして？」
「楽しい？」
「もちろん！楽しくて面白くてぞくぞくするもの。知りたいことが多すぎて、時間が足りないくらいよ」
「…そう。たのしそうだね」
　羨ましいと思った。胸を張ってそういえる彼女が。
「マルフォイ？どうしたの？貴方…」
　質問を遮るように、マルフォイはもうひとりに問いかけた。
「ポッター。貴様は？」
「僕？」
「クイディチは楽しいか？」
「当然だろう？こんなに面白いゲームはないよ？ね、ロン」
「そうだとも！見てるだけでこんなにわくわくできるんだ。プレイできる君等が、最高に羨ましいよ！」
　屈託のない笑顔だった。好きなことを語るとき、楽しいとき、人はこんなに輝いた顔をするものか。マルフォイは、ウィーズリーを羨望の眼差しで見た。グレンジャーが惹かれるのがわかる気がした。
「…そう。おめでとう」
「マルフォイ。あなた変よ？」
「そう？君等からすれば、僕はいつだって変なんじゃないかな？」
「そうじゃなくて、ああもう」
　彼女はじれったそうに頭を振った。顔をあげたとき、頬が濡れていた。
「なにを泣く？」
「貴方が泣きそうな顔してるからよ！マルフォイ！哀しいことがあたら泣きなさいよ！見てるこっちが泣けるのよ！！貴方の所為よ！！」
「何ごとです？ここは病室ですよ？ミス・グレンジャー？」
　割って入ったマダム・ポンフリーが、怪訝そうに二人を見比べた。
「すいません。マダム・ポンフリー。僕の所為です」
　申し訳なさそうに、マルフォイが頭を下げた。
「ウィーズリー」
「なに？」
「彼女を頼む」
　ウィーズリーは、なんで貴様にそんなこと言われなきゃならないんだという顔をして、グレンジャーの肩を抱き、ポッターを促して出ていた。
　扉の閉まる音がした。マルフォイは気力が尽きた。ずるずるとベッドに沈み、マダム・ポンフリーを驚愕させた。



　その晩は医務室に留め置かれた。
　マルフォイはぼんやりと天井を眺めていた。
　心が空っぽだった。達成感すら吹き抜けて、なにもない。空虚だった。
「…どうして…」
　なぜ嬉しくないのだろう？勝利とはないものにも代え難い高揚感をもたらすものではなかったのか？誰もが褒めそやす栄誉は、自分が望んだものではなかったか？
（なにもない。僕には…なにもなかった。父上。これが貴方の望みですか？僕は貴方の虚栄心を満たすための道具でしかないのですか？これからもずっと？）
　際限のない父の期待に答え続けなければ、彼は彼でいられない。けれども、そこに彼自身がいない。父がいった「うれしさ」が実感できない。虚しさしかない。
「それで満足か？」
　問いの重さ。
「ノーバディ…」
　無性に会いたくなった。誰にもうち明けられない泣き言を、彼に訊いて欲しかった。
　繰り言でしかない。ドラコ・マルフォイとして生きるかぎり、逃れることのできないレール。無意味でしかない。それでもいい。飲み込めない塊を、喉に詰まった痼りを、吐き出したかった。



　夜の帳が降りる頃、マルフォイは医務室を抜け出していた。
　人気のない廊下を選んで歩いた。
　彼は全てを知っているから、程なく自分を見つけるだろう。
　階段の踊り場で後ろから抱きすくめられた。
　驚きはない。体が覚えている。優しい抱擁だ。安堵の溜息が漏れた。
　軽々と抱き上げられた。その浮遊感。
　マルフォイの咽から問いがこぼれた。
「…ノーバディ…。君は誰？」
　 時間が凍った。
2002/2/5　UP
ちょっと脱線して、ロンハーのおさらいです。明日は、暴露です。あと３つ！

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